酔っ払った夫と

大人は酔うものである。

酔わない人も居る。飲まない人も居る。

飲む人もいる。

酔っ払って帰ってくる大人もいる。

「おかえり!」

夫が終電逃してタクシーで帰ってきた。

おかえりは夫の言葉である。

「ただいまでしょ」

「飲み会で、先輩に○○って20回言ってきた」

「20回は言いすぎでしょ。言って8回でしょ。」

「シャワーを浴びます」

「今シャワー浴びたら死ぬから、足と顔だけ洗えばいいよ」

「シャワーを浴びたら死にます」

「いや、死なないから、死なせないから。あ、フラグ」

そしてトイレで吐く夫に冷たいお茶を出す。

これは普通のことなのだ。

たとえどんなに酔っ払っていても次の日に、自分が言ったことを忘れていてもそれを突っ込んではいけない。

なぜなら、私も酔っ払うからだ。

お互いのお互いによるお互いのための酔っ払い対処法。

ちなみにお互いが同じように酔ってしまうと、この三原則はきかない。

マソリンガンタンで!

なんて使い古されたことをタイトルで言っているんだろう。こいつは痛いやつじゃないか。聞いたことを自分が体験したように話す人っているよね、boketeで同じボケを半年とか微妙な時間を空けて投稿して、星さらっていく人のように。

でもね、本当に「マソリンガンタンで!」言う人居たのよ。

 

ガソリンスタンドでバイトをしていた。

19歳という高校からも解き放たれ、自分の責任で自由にできる時間を手に入れた時代。

1年だけフリーターでお金をため、学費にあてるという野望をいだき、友人がバイトをしているガソスタへこねで入った。

こねというか楽した。友人いるし。ちわ!ってなもんで。

そこはパラダイスなバイト先だった。

夫婦で経営をしている個人ガソスタ。

お昼(寿司)、おやつ付き。暇なときは洗車したい放題。むだにワックスとかかけたり。蓑虫を観察したり。友人が集めた蓑虫を愛でたり。

バイト先にはあだ名がつけられた至高なお客様がいる。

毎日コンビニで豚まんかってたら「豚」とか。

そのお客様は「レタスのジャグアーのおじさま」と言われていた。

略して「ジャグアー」って。

ジャガーだけどさ、レタスのおじさまはジャクアーって発音するからさ。

あとレタス農家だからレタスのおじ様。二つも通り名があった素晴らしいお客さまだっった。

レタスのジャグアーのおじさまは、ほっかむりをし、農作業着で黒い長靴。

いつもジャグアーの後部座席には、土がついた桑を乗せていた。

レタジャグのおじさまはガソスタにくると決まって

「マソリンガンタンで!」

と言う。やっとタイトルを補完できた。

本当はガソリンじゃなくてハイオクだけど。

そして洗車を頼む。機械の洗車だ。

高級車に乗っている人は機械の洗車には入れない。

人の手で洗車する通称エジプトコースを頼む。(なぜエジプトかと言うと想像した映像が正解です。)

レタスのジャグアーは機械の洗車をしすぎて上の塗装が禿げていた。

 

あるときレタスのおじさま以外から「マソリンガンタンで!」と言われたことがあった。これはもう、ガソスタで半年語り継がれる歴史的な事実である。

若い男性達数人が今でいう「ウェイウェイ」状態でその言葉を発したのだ!

ガソスタ従業員に衝撃が走った。

「はははお姉さん!マ ソ リ ン ガ ン タ ン で!ひゃーははは」

二度目です。

友人は窓拭き用のタオルに爪を食い込ませている。

誘導していた先輩は手がストーーップの形で止まっている。

隣で接客していたバイト仲間は灰皿に入れる芳香剤を、地面にこぼした。

ウェイウェイを接客した私はあきらかに笑顔が凍りついた。

その言葉はレタスのおじさまだけに許された特権!(飲み会で半年にわたるきめ台詞)

ここで奇跡が!とかないから、つつがなく、触れないように普通に普通に接客をし、ウェイウェイ達を見送った。

見送ったあと、友人が

「蓑虫後ろのワイパーにつけておいた。発車したら落ちちゃったけど」

(飲み会で数年に鉄板の事情)

うんこ

日常で「うんこ」って言わない。

自己紹介分に「生物学的に女」って言っちゃう子でもだぶん「うんこ」って。

言ってると思う。うん、だぶんいきなり矛盾だけど。

 

私は「うんこ」って言えない。

「うんち」って言う。

どうでもよすぎてこの文章を読んでいる人は知性を数割失っているかもしれないけど。

夫は「くそたれる」って言ってる。

これはすごい。「うんこ」すら通り越して「くそ」を「たれる」。

わたしの「うんち」がもじもじしているところを颯爽と漢としての「くそ」。

これはもうすごい。

それにかかるのが「たれる」

もうぐうのねも出ない。

ぐうとか言った事あるけど。

おー男ですね!男がめちゃくちゃおうんこをしているんですね!って受け取る。

「お花を摘みにいってまいります」とか太刀打ちできない。

言ったけど、「くそが出るんか!」ってドストレートに返された。

「キジを撃ちに・・・」とか変則で言ってみても

「くそ出すんか!」

「くそをせめてうんこに・・・」

「うんこたれる!」

ああ、それでもなお、その言葉は駄目です。NGです。

しかも私うんこって言ってるし。

でも心の中ではうんこって言っても、口にだすのはうんちよ。

ってカマトトぶってもしょーがないしね。

「しかしまて、夫よこれは不毛だ。うんこでもうんちでもくそでも良い。己の健康状態を報告し、お手洗いを独占する許諾を得るのに必要なだけの言葉だ」

「御意」

「ならば、私はバラを出してくる」

行き過ぎた言葉狩りより我が家では「バラ」に決まった。

知性がまた数割失われると思う。

猫と私と

近所にキャットストリートがある。原宿のではない。

猫が常に数匹目撃されるので、夫との会話では自然にあの道はキャットストリートだと決まった。「猫道がね」と言っていたのだが。

私は猫が好きだ。犬も好き。一部を除く動物を好む。

近所のキャットストリートを歩き始めた初心者だが、徐々に触らせてくれる猫が現れた。

みーちゃんである。ひねりもなんもない安易な名前だが、三毛猫なので利便的にみーちゃんと呼んでいる。

みーちゃんは新参ものの私に出さえ興味を示してくれた。

始めは指のにおいを嗅がせ、頭を撫でられたと思ったら腰まで撫でさせてもらえた。

だが微妙な距離を保たれたままだ。

手をぐっと伸ばした範囲では触らせてもらえる。だが近づくとその分距離を保たれる。

腕一本分がみーちゃんとの世界だった。

が、しかし毎日撫でさせていただけると、徐々に距離が近くなっていった。

近くまで寄らせていただけるようになったのだ。

3ヶ月もすると喉、お腹まで撫でさせて頂けるようになり、お世話になっております引き続きよろしくお願いいたします。

だが、悲劇は訪れる。

寒い冬のある日、みーさんが私の後をついてきた。

しきりにみゃーみゃー泣き、私の顔を見ながらついてきたのだ。

みーさんの行動範囲である角っこを過ぎ、なおかつ犬がほえる魔の「狂犬ビリーの家」を越えてでもついて来る。

「みーさん、ほんと申し訳ないのですが、うち賃貸なんです。あと私猫アレルギーなんです。」

って言ってもこちらの諸事情過ぎて胸が張り裂けそうになる。

みーさんはまだみゃーみゃー言いながらついてくる。

すると向こうから人が。

みーさんはその人に気をとられている隙にダッシュした。

ダッシュってギリ中学生までだよね。

次の日、10m先から私を見つけ鳴きながらダッシュをしてくるみゃーさんの姿が!

「あああほんとごめんなさいぃぃぃぃ」

家の周りを3周し、みゃーさんが自分のテリトリーに匂いをつける隙にダッシュで逃げた。

心苦しくてキャットストリートを通れなくなっていた。

だが止まない雨はない。終わらない冬もない。

暖かくなってきたのだ。

満を持してキャットストリートへ。

みーさんは居た。おちんたまを舐めながらそこに居てくださった。

「覚えていますか。不義理なわたくしめであります。」

指を鼻にもっていった。

みーさんは興味がないようにくんくんしたあと、またおちんたまを舐め始めた。

出会ってまだ1年だね。私が終わりにしたこのヒストリー。

エピソード0からまた始めよう。

3ヶ月たったみーさん。相変わらず鳴きながら10m先からダッシュしてくるけど、私の後にはついてこない。

みゃーさんの後を私がついていく。

その先にはケンカ相手がいてとっくみあいになったり、新入りの子猫を毛づくろいし始めたり。

みーさんはかっこいい。

オスの中のオスだ。

正確な性別はわからないけど。

だって猫飼ったことないし、みー様の聖なるお股間を拝見するなんてなんておこがましい。

P.S

私が猫に敬語なのは「キャッツ」と「キリコ(西加奈子)」の影響だ。人前では決して猫を撫でたり、話しかけたりできない。恥ずかしいからだ。小市民だからだ。